千葉県 Y様

◆ きっかけはD-CLOCK◆

サウンドデンさんとのお付き合いは、2006年9月に、ジッター歪について、インターネットを検索しているうちに出会ったのが始まりでした。これがきっかけとなり、デンテック製品を順次導入させていただくようになって、約二年経過しましたが、今(2008年8月)、思い返してみると、あっという間のことですが、それまでの道のりの長さを思うと、ずいぶんと運命的なものだったと、実に感慨深いものがあります。

私が、オーディオ装置に要求するものは、LPレコードやCDに刻まれた音楽情報を、過不足なく拾い、増幅し、それを余計な脚色なく、室内空間に放射してくれること、ただこれだけです。私の場合、目的は演奏家の個性を聴くことにありますから、その媒体となるオーディオ装置に癖や個性があっては困るのです。

つまり、オーディオ装置に癖や個性の存在があればその分、演奏家の個性を歪曲して伝達してしまうので、邪魔になるだけだと考えるからです。当然の帰結として、私がオーディオ装置の優劣を判断する基準は、ただただ、無色透明、無個性な状態にどこまで追い込んであるかに尽きます。したがって、私が、オーディオを趣味にして、機器を購入したり、手を加えたりすることは、わずかでも無色透明化、無個性化に役立つことにエネルギーを注ぐこと、これ以外にはありません。ですから、オーディオ装置に対して自分の好みの音というのもありません。

音楽の聴取者としての私の立場から言えば、演奏家が自分の心の在り様を楽器や声に託して空気中に放射した音が、可能な限り正確に取り込まれ、再現され、それを細大漏らさず聴き取ることが第一で、好みの問題はその後の話だと考えるからです。

私のオーディオに対するこのような、ある意味そっけない要求は、最初は漠然としたものでした。私は、もともと、音楽好きだった親の理解もあり、コンサートには、中学、高校のころから、年間に数十回通いました(当時N響の定期で安い席なら400円で聴けました)。

そして、毎日のように学校の帰りに秋葉原に寄り、LPレコードを抱えて、メーカーや販売店の試聴室で、いろいろなカートリッジやアンプ、スピーカーを切り替えて聴かせてもらっていました(1971年頃です)。最初のうちは、これをとても楽しいと感じていましたが、ある時、オーディオ装置から出る音楽を楽しんでいる自分が、その演奏家の個性とは別の次元で楽しんでいる事や、生のコンサートで感じた演奏家の個性が、LPレコードからは、正確に再現されておらず、別の世界を作り出していることに疑問を感じ始め、次第に、例え試聴室に設置された名器と呼ばれる機器で音楽を聴いたところで、一体自分は何を聴いているのかと考えるようになってきたのです。もちろん、この別世界がオーディオという独自の趣味の世界を作り出している現実を否定するつもりはないのですが、私の場合、まず、「生の音楽」ありき、だったので、どうしてもその作り物くささに違和感を覚えざるを得なかったのです。

もちろん、数千円で購入したLPレコードが、「生」同様に鳴って欲しいと大それた事を言うつもりはありません。しかし、LPレコードの再生音には、生の音には存在しない「うるささ」や「不自然さ」があり、どうにも我慢がならなかったのです。

また、このようにLPレコードに対して疑問を持った理由はこれだけではありませんでした。それは、レコードを買う小遣いにも限度があり、それでも、もっと沢山音楽を聴きたいという気持ちから、たまたま、別経路の音楽ソースの入手方法として、FMチューナーとテープデッキの購入を思い立ち、(当時、秋葉原の駅前の店では、放送局のお下がりのスコッチテープが安く購入出来ました)これで、NHKFM放送等で、N響のみならず、来日演奏家の録音を放送してくれていたので、放送から録音をしようと考えたのでした。

実際、その演奏会場に自分もいたということが多くあり、(これは確認音源ですね)生の音楽を聴いて、さらにそれを自宅で放送から録音し、再生した音を何度でも聴きました。指揮者の頭上にぶら下がったワンポイントのマイクで収録してその放送を録音した音には、LPレコードにはない異質の生々しさと、十分とは言えないまでも生演奏に通ずる演奏家の個性をこの方法で感じることができたのです。もちろん、何より、現場に居合わせ、生で聴けたということほどかけがえのないことはありませんでした。ベーム/ウィーンフィルの東京公演をはじめ、最も録音回数が多かったのは、N響の定期演奏会、その他、大物来日演奏家のリサイタル等、生で聴いて、放送されたものは、出来うる限り録音し、繰り返し聴きました。そのうちに、LPレコードからのダビングはコピーゆえに質も落ちるのであまりやらなくなり、放送からの録音が多くなりました。その結果、私の場合、初めて聴く曲の多くは生演奏か、生は聴いていなくても、演奏会録音の放送(海外の放送局による演奏会録音の放送もかなりありました)からです。

さて、そうこうしているうちに、1982年にCDが初めて発売されることになったわけですが、これが、デジタル化された信号を光で読み取ると聞き、「これでやっとまともな音で聴ける!」と私は本当にうれしく思ったものでした。当時、私はLPレコードの音の悪さは、ターンテーブルの回転に伴うモーターや軸受けの振動と、アームやカートリッジのケース等の共振が大きな原因であると知り、実際、市販のカートリッジのケースをはずし(場合によっては削り落とし)、防振材で作りなおしました。すると、どれも音の傾向が似てくるのです。

数多くの実験を繰り返した結果、音の変化には二つの要素があるのがわかってきました。一つは防振材そのものの共振(つまり同一の材料を使用することでどれも音が似てくる。これは防振能力の限界をも示すものでもあります)、もうひとつは(これがポイントです)、その防振材の持つ防振能力によるものです。この二つの要素は当然混在していますが、音質が似てくる理由は、同一の材料で作った場合、その共振係数が同じ(近い)であることはもちろんですが、大事なことは、素材の防振能力が優れている場合に、その能力に比例して音楽信号の通り道としての透明度が向上することなのです。そして、この透明度の向上に伴い、音楽に生気が蘇り、まさに、生演奏を録音したテープの音から得られる感触と共通するものが見え始めたのです。

このような経験を通して、私の求めるオーディオ装置は、焦点がはっきり定まってきました。すなわち、「生の音楽」に少しでも近づけるために、少なくとも「防振能力を少しでも高めるための開発(つまり無個性化)がなされ、それが製品の中に存分に生かされているもの」となってきました。

とりわけ、オーディオ装置が増幅機能を持つものであることからその最上流の(つまり入り口部分の)防振処理が不可欠であると考えるに至りました。ところが、以外な事に、そのような方向性を明確に持つ製品には、残念ながら出会うことはありませんでした。どのメーカーも一様に自社の「音作り」をブランド力と結びつけ、音楽再生に最も邪魔となる「個性」を売り物にしているのです。私に言わせれば、音楽を出汁にしたオーディオ遊びの材料としか思えないのです。確かに、いろいろな音色のカートリッジをユーザーに複数個購入させるほうが、なまじ無個性に収束させて、たった一個のカートリッジでユーザーが満足してしまうより商売上は有利な選択なのかも知れません。でも、このやり方によって、多くの「芸術作品としての音楽を聴こうとする人たち」で構成される市場を自ら放棄したのではないかと、私は想像しています。ともあれ、売ってなければ仕方ありませんから、自前の改造プレーヤーを最後まで使い続ける結果となりました。

振動系を起因とする音の濁りがいかに酷いものかを身にしみて感じていた私は、CDではその宿命的な悪循環から開放されると考え、私の予想では、必ずや、素晴らしい音で音楽を奏でてくれるはずと、前述のとおり、それはそれは大きな期待をよせておりました。
さて、いよいよ、待望のCDプレーヤーです。それほどの高級品でなくてもかなりの線までいけるはずと考え、ほどほどの価格のCDプレーヤーを入手しました。ところが、再生ボタンを押して、出てきた音を聴いて、即座に「これは故障ではないか?」と思い、スイッチを切ってしまいました。確かに針音もないし、ワウフラッターも感じないのですが、今まで聴いたことのない棘と不快な圧迫感があるのです。LPレコードの持つ宿命的な問題点がなくなったのにもかかわらず、なんでこんなに酷い音がするのか、とにかく、弦の音は、ギスギスして悲鳴のようで、どぎつく、柔らかさのかけらもありません。また音(楽器や声)の前後左右の位置関係は、ちぐはぐで、喩えて言うならば、カラーテレビのカラーバランスボリュームをでたらめに回したみたいで「場」の前後関係が掴めません。ピアノも、3メートル近い木の箱の中で弦を打撃している音ではありません。コンサートでいつも聞く音と同種の楽器とはとても思えないのです。そして、何より、最も情けないのは、いろいろ問題点を抱えていたLPレコードからでさえ感じられていた、演奏家の個性が、はるかかなたに遠のいてしまったことです。はっきり言ってしまえば、うるさくて聞いていられません。

当初、この現象は、LPと比べ、桁違いに特性の良いCDですから、それなりの防振等の対応策を講ずるか、あるいは高級機を買えば、解決がつくと楽観視していました。ところが、まともな音の出るCDプレーヤーをいくら探しても、また、考え得る防振処理を施しても結果は同じ。とうとう、音楽がLPレコードの水準まで蘇らず、デジタル処理というブラックボックスを目の前に、手の施しようのない状況となってしまったのです。
秋葉原の某有名オーディオショップでは、予算のことは言わないから、「音楽」が聴けるCDプレーヤーを探しているといいましたら、「LPより数段優れたCDは皆音が良い。それを悪いというあんたの耳が悪い。」とまで言われる始末です。もう、すっかり閉塞状態です。

CDの音が悪いと訴える私に、「こだわりが強い」、「頑固な」、と言う人がいましたが、私は、決してこだわりや理屈で言っているのではありませんでした。単に、「食べてみたら不味かった」から、「せめてLPより美味しいものが欲しい」と訴えただけです。
とにかく、現状においてCDで音楽を鑑賞することを断念せざるを得ません。しばらくは中古レコードの購入でしのいでおりましたが、時代の流れはいつまでもそれをさせてはくれなくなり、私にとって情けないことに、オーディオ装置は音楽を聞く道具として機能しなくなってしまいました。

とにかく、入り口(つまり最上流)でまともに音楽を拾っていないオーディオ装置なんて、私にとって無用の長物に過ぎません。もうこうなったら音楽は生演奏でしか聴けないとあきらめなければなりません。私は、この時点で、すっかりオーディオに興味を失いました。オーディオ雑誌等を見ても、相変わらずのんきに、CDを誉めているだけです。私の絶望を希望に変えてくれそうな情報は何一つありませんでした。(1985年頃です)
その後、いろいろな紆余曲折がありましたが、生演奏以外全く聴かない、というわけにもいかず、せいぜいミニコンポ程度の機器で、CDを時々聴いていましたが、(正面きって音楽鑑賞する気は全くなく)いずれにせよ、将来的には、デジタル処理が主流になるであろうと考え、ミニコンポじゃあんまりと思い、気をとりなおして、パワーアンプの入り口まで、フルデジタルの機器で揃え、バランスの調整だけは徹底的にやり、それ以外何も手を加えることもなく、半ば「我慢して」CDを聞くという状態を続けておりました。


CDに絶望した後、約20年間、すでに興味を失ったオーディオ界に接することもありませんでした。とはいっても、友人関係でオーディオを趣味にしている人もおりましたから、時折聴かせてもらうこともありましたが、CDの再生音に関して、これはと思えるような変化に遭遇することも無く、皮肉なことですが、音楽のあまり感じられないCDをしかたなく聴いていたわけです。

さて、2006年10月にD-CLOCKについての感想を「お客様の声」欄に掲載していただきましたが、その拙文の中で、私は「音が良くなった」ではなく「音楽が戻ってきた」と書きました。その理由をご説明しようとしたら、このような、「オーディオ履歴書」になってしまいました。やはり私にとっては、D-CLOCKとの出会いが、オーディオ装置から20年ぶりに念願の「音楽」をもたらしてくれた、画期的な出来事であったからなのです。D-CLOCKを搭載したCDプレーヤーを初めて聴いた時は、音が出た瞬間、全身の力が抜けました。そして、まさかと思いながら、聴き続けましたが、あの不快な棘や圧迫感が全く感じられませんでした。これで、ようやく音楽鑑賞が出来ると、憑き物がとれたような開放感を味わうことができたのです。

藤本社長によれば、すでに、クロックは過去に9種類にもなるそうで、私がめぐり合ったD-CLOCKはまだ出たばかりとのことでした。それにしても、藤本社長が、CDの問題点に当初から着目され、その都度、可能な限りの対応をされてこられたお陰で、「音楽」鑑賞のためのオーディオに対する絶望を、希望に変えてくれたのです。これは何にも代え難い福音です。そしてまた、私の耳は別に悪くはなかったと、確認できたことも救いでした。この感謝の気持ちはどう表現してよいかわかりません。

今年30周年を迎えられたサウンドデンさんにそれまで出会うことなく、20年間CDに対する絶望感を味わってきたのは、全く、私の不徳のいたすところで、さっさと愛想をつかして、オーディオをやめてしまった罰でした。でも、情状酌量の余地があるとすれば、LPに替わる、優れたCDによる再生システムを製造販売し始めた段階で、「音楽」情報の量の低下に対し適切な対応をとらなかった、さらにその後もとろうとしなかった、メーカーの責任は、決して小さくはないと思います。(2008年現在でも、高級機には十分な性能のクロックを標準装備しているとは聞いていません)

私は、十分な性能を持つクロックを搭載していない音楽再生用CDプレーヤーは、欠陥製品だとさえ思っています。クロックの精度が、CDに込められた音楽情報を引き出す鍵を握っているのは、すでに明らかなのですから、一人でも多くの音楽ファンが、芸術としての音楽を、音を気にせずに鑑賞できるように普及するのを、祈るばかりです。また、精魂込めた演奏を、CDに収めた演奏家に対する、礼儀でもあると思っております。

さて、D-CLOCKを、きっかけに、音の入り口がまともになったことを実感し、失われていたオーディオに対する興味も蘇ってまいりました。サウンドデンさんのHPを詳細に拝見しましたら、なんと、私がオーディオ装置に求めているものを、地道に開発、製品化を行っておられるのを知る事となり、手始めに2007年1月にスピーカーのエッジ交換をしていただき、本格的な導入がはじまりました。何事につけ、基本といいますか、基礎が大切です。電源装置と防振処理に早速取り掛かることとしました。

早速、メールで広島にお伺いしたい旨お伝えしましたら、驚いたことに、「クリニック」として、わざわざ、拙宅に社長自ら「自社製品」を携えておいでいただくことになったのです。2007年4月にいよいよ、お越しいただくこととなりました。

Yさんは長年クラシックの生演奏に親しんでおられます。
ですから、所謂オーディオマニアとはDENTEC製品に対する評価が異なるかも知れません。 \付帯音を追加して単に聴き易くしている製品が多い中、生演奏には無い付帯音を極力削ぎ落としてゆくというスタンスのDENTEC製品を、大きく評価して頂きました。
これから時系列で克明にレポートして下さるとの事ですから、思い当たる節のある方も大勢いらっしゃると思います。

もし、お気に止まりましたら、お気軽に藤本まで声を掛けてやってください。
日本全国どこでもお伺い致します
by 藤本光男

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